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アニメ 映画を語る

アニメ 歴史

アニメを語る
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アニメ映画について語る!!

アニメ映画の歴史



アニメ映画について
アニメについても、映画を語る上でははずせません。アニメ、またはアニメーションの歴史も結構古いです。
僕がアニメ好きなので、普通に書くと収拾がつかなくなるので、まずはアニメの歴史、いえアニメ映画の歴史から、お話していきます。

★日本でアニメの制作が始まったのは大正時代になる。
下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人がそれぞれ別にアニメの製作をして、同時期だったために3人共
それぞれが日本のアニメの創始者として位置付けられている。
★他の国と同じく当初のアニメ作品は数分程度の短編映画が多かった。
作り手も個人、または少人数の工房での家庭内手作業による制作体制で、生産本数も少なく、生産の効
率化のためのセル画の導入も遅れていた。
1930年前後にセル画が使われ始まるまでは、日本では切り絵によるアニメが主だった。
第二次世界大戦を迎え、戦意高揚を目的とする作品ばかりが制作される。
軍部が提供したぜいたくな予算は技術力の向上に繋がったと言われている。
第二次世界大戦後、東映は1956年に日本動画社(日動)を吸収合併し、アニメスタジオ(東映動画)を
発足。劇場用アニメーション映画の製作を開始したのである。
最初の劇場長編作品は
『白蛇伝』1958年、79分)で、海外へも輸出される事になり、当初の目論見通
り「東洋のディズニー」とまで言われるほどに。

★その後年約1本のペースで新作が製作されたが、高品質アニメ作品を少量製作する体制だったため、
作品数はあまり数多くはならなかった。
だが、国際的には継続的に年に1本のペースで劇場長編アニメを生産可能だった国はアメリカと日本し
かなかったために、アニメ大国への第一歩となった。


『白蛇伝』1958年
『安寿と厨子王丸』1961年
『わんわん忠臣蔵』1963年
『太陽の王子ホルスの大冒険』1968年
『空飛ぶゆうれい船』1969年
『長靴をはいた猫』1969年
『海底3万マイル』1970年
『どうぶつ宝島』1971年)など、東映動画と虫プロダクションが長編アニメを世に送り出した。





(白蛇伝のワンシーン)

















































「東映まんがまつり」などのような定番映画として低年齢層向け映画として普及することになる。
これらの映画の多くは映画館だけではなくて、小学校や公民館での上映会などにも貸し出されて、多くの子供たちが観賞する機会を得ることになる。
またこういった長編アニメ映画の小学校などでの無料公開は、後の星空映画会などへと引き継がれていくことになる。

★これまでの長編アニメではフルアニメーションを基本として来た東映動画が、
1966年「東映まんがまつり」の中で上映された『サイボーグ009』からは、3コマ撮りによるテレビアニメとの中間的位置付けの作りの「B作」と呼ばれる路線が開始となる。
それまでのフルアニメは「A作」として区別されるようになり、1963年の『鉄腕アトム』開始によるテレビアニメ時代の幕開けの影響を感じさせる流れでもある。

1969年公開の『千夜一夜物語』から始まった虫プロによる。「アニメラマ三部作」「東映まんがまつり」とは逆に、大人向けに作られていた。
1970年代には『クレオパトラ』『哀しみのベラドンナ』が公開される。

★この時代になって、ついに東映動画は劇場アニメでもフルアニメーションの制作を中止した。
「東映まんがまつり」『マジンガーZ』などテレビで人気を得たアニメの劇場用新作という路線に転換していった。
一方、虫プロダクションが倒産してから、劇場向け長編アニメといえば東映動画の独壇場だった。

★そして日本アニメ界において、変化が起きるのは1970年代後半である。

1970年代後半、主にテレビアニメをオリジナルアニメ化した作品が登場する様になる。

1974年『宇宙戦艦ヤマト』の登場である。
テレビでの本放送時にはあまり人気が無かった
『宇宙戦艦ヤマト』だが、再放送によりヒットすると、
1977年にテレビ放送を編集した劇場版が公開され、初日から徹夜する客が出る等の大ヒットを記録し、翌1978年には『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開され空前の大ヒットを記録する事。
この2作品によって子供をターゲットとしていたアニメ映画が、年齢層を超えて楽しめるものであると世の中に認識される様になり、この作品以降、劇場用アニメ映画が数多く作られていくこととなる。

1979年には『ルパン三世 カリオストロの城』、『銀河鉄道999』が公開されるなど、1970年代後半には数多くの作品が公開された。

『科学忍者隊ガッチャマン』『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』などアニメブームに乗って、テレビ放送の総集編的な長編アニメが劇場で公開されたのもこの時期の特徴である。
これはアニメブームを当て込んだものである一方で、東映動画以外の制作会社はそれまでもっぱらテレビアニメの制作を専門としてたために劇場向け長編アニメを制作するノウハウが無かったのである。
それだけに急な需要に応えるだけの余力に欠けていたことも原因の一つである。
観客の側にとっても、当時は、まだビデオデッキの普及もなかった事から再放送以外では人気テレビアニメを再鑑賞できる唯一の機会という側面もあった。

『宇宙戦艦ヤマト』の舛田利雄を始めとして、1980年代初めまでのアニメ映画ブームは実写畑の映画監督をアニメに起用した例が多いのである。
恩地日出夫
『地球へ…』1980年
浦山桐郎『龍の子太郎』(
1979年
これは一説には、当時アニメ映画に馴染みの無かった地方の映画館主を納得させるためだったと言われている。

★1980年代に入り、
『風の谷のナウシカ』(1984年)が大ヒットし、この後スタジオジブリを立ち上げた高畑勲や、宮崎駿らが2年に1本程度の間隔で製作したジブリブランドの作品がオリジナル劇場用アニメとして、好評を博した。
『天空の城ラピュタ』1986年
『となりのトトロ』1988年

また、
1980年から毎年春休みにドラえもんの映画用オリジナル作品も公開されている(2005年を除く)。

『機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)』の劇場版三部作が1981年から1982年にかけて公開されたのも話題を呼んだ。

★当初、機動戦士ガンダムは
1979年にテレビシリーズとして放映されたが、不人気となり打ち切られたが、再放送などで人気が再燃。劇場版の公開によりいっそう人気は高まりさらにはガンダムのテレビシリーズの続編である『機動戦士Zガンダム1985年)』の放映にまで至りその後も、ガンダム人気は衰える事なく続く結果となる。

★サンリオは
1979年『星のオルフェウス』に引き続き、『シリウスの伝説』1981年)などで、大予算をかけて、1970年代に入って途絶えていたフルアニメーションによるアニメ映画を制作、海外市場に打って出ようとしていた。

1980年代はまたビデオが普及した時代でもある。
1980年代半ばのビデオデッキとレンタルビデオ店の普及はアニメ映画の製作にも変化をもたらす事に。
オリジナルビデオアニメ(OVA)の興隆は、OVAを劇場アニメとして単館系で公開したり、逆にマニア向けの企画を一旦劇場で公開し、後のビデオ販売でも製作費の回収を計るというビジネスモデルが成立したのである。

またその受け皿として、短命に終わったものの、この時期に東京ではアニメを専門に上映する映画館が誕生し、これまで劇場アニメとして通用しなかった企画がビデオ販売を前提として通るようになる。

また、OVAの存在で、これまでテレビアニメで下請け的立場に甘んじていた小規模のアニメ制作会社がOVAの制作に乗り出すことで、徐々に制作能力を高めることを可能としたのである。

Production I.Gもそんなスタジオの一つで、1980年代に出発してOVAの制作とテレビの下請けをこなしながらも、
1990年代以降は劇場映画の制作で飛躍したのである。

また、今ではハリウッドに影響を及ぼすほどの規模にまでなっている。

1990年代に入ってから劇場用アニメ映画は大きく飛躍し、数多くの作品が作られている。1993年に映画『クレヨンしんちゃん』シリーズの第1作『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が、1997年には映画『名探偵コナン』シリーズの第1作『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』が、1998年に『劇場版ポケットモンスター』シリーズの第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』が公開され、3作とも現在まで毎年制作され続けている人気シリーズとなっている。

★この頃は、ほぼ毎年のようにアニメ映画が日本映画の興行成績のトップに輝いている。1989年の『魔女の宅急便』を始めとして、
1991年『おもひでぽろぽろ』
1992年『紅の豚』
1994年『平成狸合戦ぽんぽこ』
1995年『耳をすませば』
1997年『もののけ姫』
1999年『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』
2000年『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王ENTEI』
2001年『千と千尋の神隠し』
と、その年の日本映画の興行成績のトップを記録している。まさに、スタジオジブリとポケモンの黄金時代である。

また、海外でも大きく公開されるようになる。1999年にアメリカで公開された
『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(米題は"Pokemon: The First Movie")は日本映画としては初めて「全米ナンバー1ヒット」となり全米年間映画興行成績トップ20にランキング入りをはたした。

また宮崎駿監督の
『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)は2作続けて日本映画の興行成績の記録を更新し、またアカデミー賞ではオスカーを受賞したり、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞するなど世界的にも認められる。

日本のアニメーション映画はヨーロッパやアジア各国では次々にヒットを飛ばしているが、アメリカでは現在のところ、日本の劇場用アニメ映画が興行的に成功した例は少ない。空前のヒット作といわれた
『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』でも興行収入8574万ドルであり、アメリカにおいて大ヒットの基準とされる興行収入1億ドルには及ばない。
『千と千尋の神隠し』は興行収入1000万ドルである。またアメリカでの日本アニメ映画は公開される数がまだまだ圧倒的に少ない上、1作あたりの公開される劇場数も(『ポケットモンスター』『遊☆戯☆王』などの例外を除き)多くの場合は少ない。

2004年には、押井守監督の『イノセンス』、大友克洋監督の『スチームボーイ』、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』など、オリジナルの作品の公開も目立つようになりジャパニメーションなどと言われるようになる。

テレビアニメで人気を博した作品が映画化されるのは現在も主流だが、
『ラーゼフォン 多元変奏曲』2003年)、『劇場版灼眼のシャナ』2006年公開予定)のようにメディアミックスの一環として映画化される作品も多くなってきている。

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